ショウジョウバエ入門






はじめに


ショウジョウバエとはショウジョウバエ科の動物の総称です。この「ショウジョウバエ入門」では、ショウジョウバエのなかでも、とくにモデル生物として利用されているキイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)について取り上げます。上記のメニューは、はじめから順に読んでいくと理解しやすく設計されています。これからショウジョウバエの実験に従事する方は、全ての項目を読んでおくことを推奨します。もちろん、趣味でショウジョウバエを飼いたいひとにも役立つでしょう。ショウジョウバエの論文を読むための基礎知識だけなら、「核型と性差」から「バランサー染色体」までで事足ります。



ショウジョウバエの名前


ショウジョウバエの「ショウジョウ」は猩猩の意で、赤眼とアルコール(発酵物)に誘引される性質にちなんだ命名といわれています(千野と吉川 1934, 森脇 1979)。小林(1916)には既に「腐敗ニ傾ケル果實及野菜、酒、酢ヲ最モ好ミ」とあり、むかしからよく観察されていたことがわかります。キイロショウジョウバエの学名は Drosophila melanogaster です。属名のDrosophilaは「露を好む」を意味します(千野と吉川 1934)。種小名である melanogaster は黒い腹を意味します。一本の論文中では、初登場のときに Drosophila melanogaster と書いて、それ以降は D. melanogaster と略記していることがあります。学名は活字英文中で識別しやすいように、イタリック体か斜体で表記する慣習があります。手書きの場合には書体の区別がつきづらいので下線を引き、Drosophila melanogaster のように識別を強化します。このとき属名と種小名の間で下線を切ります。英語の文章では、ショウジョウバエ科(Drosophilidae)やミバエ科(Tephritidae)の動物を fruitfly (fruit fly) と表現していることがあります。

補足説明として、亜種(subspecies)まで表記されている場合を見てみましょう。Drosophila pseudoobscura という種には、bogotana という亜種がいます(Ayala and Dobzhansky 1974)。これは、Drosophila pseudoobscura ssp. bogotana または Drosophila pseudoobscura bogotana のように書きます。先に挙げた論文では、略記するときに D. p. bogotana というパターンをとっています。ちなみに、属まで同定できて、種は決定できなかったときはDrosophila sp. となります。

参考文献
千野光茂 吉川秀男 1934. 猩々蝿の遺傳と實驗法. pp. 5-6.養賢堂
森脇大五郎 1979. ショウジョウバエの遺伝実習 (初版). p. 1. 培風館
小林晴治郎 1916 (大正5年). 蠅ノ研究. p. 66. 細菌学雑誌社
Ayala and Dobzhansky 1974. A New Subspecies of Drosophila pseudoobscura (Diptera, Drosophilidae). The Pan-Pacific Entomologist 503:211-219.


※キイロショウジョウバエの「キイロ」の由来については調査中です。私が学生時代に伝聞した説に「成虫の精巣が黄色くなるから」というものがありましたが、そのように書いてある文献は見つからず、真偽の程は定かではありません。2019年3月追記:生物の名前の由来を調べるのは結構大変です。昔から自然と名前が付いている生物については、意味がはっきりしないものから、もっともらしい解釈がされているものまで様々です。では、近代・現代に文献上で命名されたものなら、名前の意味がはっきり判るのでしょうか。もし、命名者本人がその場で名前の意味を明文化しなければ、後の時代には解釈しか残らない可能性があります。なぜなら、時代が変わると意味のとり方が変化するかもしれませんし、学問的に議論するときには文献に明記されていることが重要な証拠になるからです。 しかし、和名がその種の特徴を表していることが明白であれば、わざわざ説明を加えないかもしれません。ところが、後年になってたくさんの近縁種が記述されると、昔は特徴的だと思った形質が当初ほどユニークではなくなり、他種との相対的な違いが希薄になる恐れがあります。 私が調べた範囲の傾向では、Drosophila melanogasterは、戦前は単に「ショウジョウバエ」と記されています。しかし、戦後になると「キイロショウジョウバエ」という表現が主流になっていきます(まれにキンイロ)。Drosophila属昆虫が研究材料として一般的になるにつれて、総称としてのショウジョウバエ(Drosophila)と区別するため、当時の数える程の代表種(例えばクロショウジョウバエは大型種で黒体色)との相対的な違いに基づいて、melanogaster(小型種で明るい体色を持つ)はとりあえず「キイロ」になったのかもしれません。この仮説に従うと、現在ではmelanogasterと体色・体長が酷似している種が多数知られているため、キイロの相対性が希薄化して、和名の解釈が困難になったと考えられます。ホン〇〇、ナミ〇〇と似たような問題を抱えていたのかもしれません。いずれにせよ、当時をよく知る人物が本を書いてくれることを願っております(1950年代に30代だったとすると100歳くらい?)。また、「キイロ」の由来について明言している当時の文献は、上記の理由から不在の可能性もありますが、引き続き探してみます。