飼育




単一雌系統 (採集したハエの系統化)


採集した雌は、一頭ずつ隔離して飼育します。野外採集した雌は、たいてい交尾済みです。やがて次世代のハエが羽化してきますから、これを新しいエサ瓶に移し替え、継代飼育していきます。たった一頭の雌に由来する系統なので、これを単一雌系統といいます。



生態と飼育環境


キイロショウジョウバエは、卵→一齢幼虫→二齢幼虫→三齢幼虫→蛹→成虫 の順に発生する完全変態です。25℃で飼育すると、受精・産卵後22-24時間で孵化します。5-6日後の瓶で、唾腺染色体の観察に適切な三齢幼虫が得られます。約7日後の瓶では蛹が現れ、約10日目後には次世代の成虫が羽化してきます(詳しい資料:JflyマニュアルのJ_Egg_Pupa_Stage.pdf(伊藤))。一世代が10日なら、一年間で36世代も交代するように思えます。しかし、一般的な系統維持では14日毎にエサ交換をするので、一年間に24世代といったところです(下記「2. 系統維持」参照)。交配実験でも、処女雌であることを確認するために数日間隔離飼育しますので(「交配実験の基本」参照)、一年間で36世代も進めることはできません。ちなみに18℃で飼育した場合は、20日くらいで次世代の成虫が羽化してきます。

実験を行う場合は、飼育条件に再現性を持たせるために、恒温器を用います。室温でも飼育できますが夏季と冬季は注意が必要です。たとえば夏季は、室温が28-29℃くらいまでは飼育できますが、もっと暑い日が幾日か続くと全滅することがあります。冬季は、人間が生活している部屋ならばぬくもりがあるので、なんとか飼育できます。ただし、羽化までに一ヶ月くらいかかったり、寒さのショックで産卵しなくなることがあります。よく産卵する飼育温度は21-28℃で、孵化率も良好です(Cohet and David 1978)。よく産卵する時間帯は夕方(消灯の前後数時間)です(Ashburner, Golic and Hawley 2005)。1頭の雌が一日に産卵する卵数は、系統や雌のコンディション、飼育環境によってまちまちです。大雑把な目安として、25℃で飼育した場合、1頭の雌が1日に産んだタマゴから数十頭のハエが羽化してくると考えて、実験を計画してみましょう。実験に慣れてくれば、使用している系統の生産力に見当がつくようになり、幼虫過多でエサがドロドロになって実験操作がしづらくなる失敗も減ってきます。

キイロショウジョウバエは壁をよじ登って高い位置で蛹化するため、エサで溺死しにくく飼育しやすい種です。しかし、溺死しやすい系統や種を飼育する場合は、エサ瓶の中に足場を作るなどの工夫が必要です。

参考文献
堀田凱樹 岡田益吉編集 1989. ショウジョウバエの発生遺伝学 (初版). 丸善
Cohet and David 1978. Control of the adult reproductive potential by preimaginal thermal conditions: A study in Drosophila melanogaster. Oecologia 36(3):295-306.
Ashburner, Golic and Hawley 2005. Drosophila a laboratory handbook (2ed). pp. 124-125. CSHL Press.




飼育容器


一般には、バイアル(管瓶)と呼ばれる飼育ビンを用います。直径2-3cm、長さ10cm程度の太い試験管です。これらはガラス製なので、飼育が終わった後に洗浄して、加熱滅菌できます。交配実験の時には、バイアルにメモを書きたくなります。メモ欄として、ガラス瓶には切手大のわら半紙をでんぷん糊で貼り付けておきます。コピー用紙ですと、パリっとはがれ落ちてしまうことがあります。水溶性のでんぷん糊は、洗浄時にメモ欄が洗い落とされるので便利です。近年はプラスチック製バイアルも市販されています。これは洗浄する手間が省けるうえ、油性ペンで直接メモができ、使い捨てです。デメリットとしては、ゴミがかさばること、冬季に静電気が起きてハエがくっついてしまうことでしょうか。バイアルが主流になる前は牛乳瓶で飼育されていました。大掛かりなものとしては、集団飼育箱があります。大量の個体を長期間維持し、遺伝子頻度の変化などを追跡します。この裝置は実験集団遺伝学に貢献してきました。



エサ


エサのレシピはそれぞれの研究室で少しずつ異なりますが、基本材料は「水、寒天、でんぷん質、砂糖、防腐剤(プロピオン酸、ボーキニン溶液)」です。つまり、水ようかんのようなものです。防腐剤を除けば、家庭で用意できる材料です。これらの配合を工夫して製造されています(公開されているレシピ:首都大学東京, JflyマニュアルのJ_Medium_Recipe.pdf(最上 上田 谷村))。用途に応じて、生きたイースト、糖蜜、麦芽などを入れたりします。エサは常温で数週間保存できます。防腐剤入りならばめったなことでは腐りませんが、乾燥に注意します。特に冬期は、食品用ラップかビニル袋をかぶせて乾燥を防ぐ方法もあります(蒸れによるコンタミに注意)。ビニル袋にいれて冷蔵庫で保管した場合は、一ヶ月ほど保存することができます。



系統維持



継代のローテーション


キイロショウジョウバエは25℃で飼育した場合に10日で羽化し始めます。そこで2週間に一度、曜日を決めてエサ交換を行うとよいでしょう。交換が終わったら、古い方のエサは捨てます。18℃の低温で飼育し、世代交代を遅くすることでエサ交換の手間を減らすテクニックもあります。ところで、「まだハエが羽化してきそうだから、もったいない」と言って、いつまでも恒温器の中に古いエサを置いておく学生が散見されますが、不衛生ですから捨てましょう!

不測の事態によって系統を絶やすことがないように注意します。エサの品質が悪くて、次世代が得られない週があるかもしれません。あるいはカビやバクテリア、その他の病原体に汚染されることもあるでしょう。このような事態に備えて、系統は複数本の瓶で維持します。例えば、2本1組で管理し、毎週一方のみエサ交換していけばリスク分散になります。



ラベル


系統管理において、もっとも重要なのはラベルです。ラベルは命です。何度も貼って剥がせるテープに、系統の情報を書き込んで瓶に貼付しておくのが一般的です。ラベルの紛失が最も恐ろしい事態です。エサ交換のときに、捨て瓶にラベルを付けたまま破棄してしまう事故が散見されます。その保険として、ラベルは一系統につき二本以上の瓶に貼付しておきましょう。こうすれば、うっかり一枚を紛失しても取り返しがつきます。また、古くなって粘着力が失われてきたラベルは早めに交換しましょう。ラベル交換は、必ず専門家(教員か大学院終盤の先輩)に確認してもらいながら行いましょう。ラベルの書きまちがいは重罪です。遺伝屋たるもの、ラベルの一字一句一点に至るまで注意深くあるべきです。ありがちなラベルの進化に、 cl→dR→K があります。



検疫と衛生管理


野外採集したハエは、病原体を持っているかもしれません。ストックセンターや他の研究室から取り寄せた系統も、病原体を持ち込むかもしれません。必ず検疫を行いましょう。検疫中の系統は別室にて飼育するか、検疫専用インキュベータに入れて、既存の系統から隔離することを推奨します。主な病原体はカビ、バクテリア、ダニです(ときにはセンチュウに寄生されていることもあるそうです)。検疫中の系統をエサ交換した際に、捨て瓶を廃棄せず、同じインキュベータで保管しておきます。一ヶ月後にこのエサを観察し、カビとダニがいなければ、その系統はやや安全とみなして実験室へ移動します。野外採集した個体を飼育すると、エサが茶色くなることがあります(バクテリアが原因?)。著者の経験では、エサの着色が起こっても、たいていの場合は問題なく飼育できました。ただし、悪臭がでたり、エサがベタついてハエが死ぬときは注意が必要です。