唾腺染色体




唾腺染色体(だせんせんしょくたい, salivary gland chromosome)は唾液腺の細胞にある染色体です(Figure 1)。全ての染色体が動原体(= kinetochore, ≈ セントロメア)のまわりにあるヘテロクロマチンで結合して、染色中心(chromocenter)を成しています。また、相同染色体はそれぞれ、相同な領域同士で対合しています。これらの結果、唾腺染色体は五本の腕(第一染色体, 第二染色体左腕, 第二染色体右腕, 第三染色体左腕, 第三染色体右腕)をもった構造となります(六本目として、小さな第四染色体が見えることもあります)。唾腺染色体として観察しているのはユークロマチンの部分です。ヘテロクロマチンが大部分を占めるY染色体は見えず、雄の第一染色体は雌よりも薄く見えます(森脇 1979, 澤村 2005)。唾腺染色体の姿は、核型としてお馴染みの「有糸分裂中期に現れるX字型の染色体」とは異なりますから、混同しないように注意しましょう。中期染色体と比較して、唾腺染色体は巨大です(Painter 1934, Bridges 1935)。これは染色体の複製が繰り返されて束になったもので(Gay 1956)、多糸染色体(polytene chromosome)とも呼ばれます。巨大ゆえに生物顕微鏡での詳細な観察が可能で、実験材料として重用されてきました。

唾腺染色体
Figure 1. キイロショウジョウバエの唾腺染色体 (×400)
野生型系統のOregon-Rをもちいた。解剖液は酢酸カーミン、染色液は乳酸酢酸オルセイン。わかりやすいように、輪郭を切出した写真。実際のプレパラートでは、背景が桃色になる。染色中心から、五本の腕が伸びているのが確認できる。

唾腺染色体には縞模様があり、染色することで見やすくなります。濃色に染まる部分はバンド(band)、染まらない部分はインターバンド(interband)と呼ばれます。バンドはクロマチンが凝集している部分で、DNAの密度が大きいです。バンドには太いものや細いものがあり、並んでいる間隔も広いところや狭いところがあります。また染色体の輪郭にも、くびれや膨らみがあります。これらを目印にして、染色体を同定することができます。

以上の特徴から、唾腺染色体は染色体変異の検出を容易にしました。バンドの並びに変化をおこすようなサイズの染色体変異なら、判別することができます。とくに、相同染色体が対合するため、大きな染色体変異をループなどの構造変化として検出できます。中期染色体の核型で、くびれ(動原体)の位置や腕の長さをもとに判別するよりは、格段に解像度が良かったのです。こうして、唾腺染色体は遺伝子地図の作成に貢献していきました(Painter 1933, Painter 1934, Bridges 1935 など)。

唾腺染色体の観察には、よく太った三齢幼虫が最適です。バイアルの壁をよじ登っている蛹化前の個体から、できるだけ大きく育ったものを選んで解剖します。解剖液はリンガー液、PBS、酢酸カーミン等から選択します。充実した個体ほど大きな唾液腺をもっており、観察に適します。キイロショウジョウバエを25℃で飼育した場合には、一週間弱でこの段階になります。そこで、観察の7日前に1st culture、6日前に2nd cultureをつくり、5日前にハエを捨てておきます。こうしておけば、どちらかのcultureは、観察当日に都合の良い状態に仕上がっているでしょう。充実した幼虫の養成には低密度飼育がおすすめです。一本のエサ瓶に産卵させる量は少なめにしましょう。染色体名人の中には、エサにドライイーストを添加して幼虫を太らせるなどのテクニックを駆使している方もいらっしゃるようです。摘出した唾液腺は染色液中に安置します。染色液は酢酸カーミン、酢酸オルセイン、乳酸酢酸オルセイン等から選択します。酢酸カーミンや酢酸オルセインは乾きやすいので、唾液腺を干からびさせないように注意しましょう。染色時間は、酢酸カーミンや酢酸オルセインで5-20分、乳酸酢酸オルセインで45-60分を目安として試し、適宜工夫してください。

授業用プリント
唾腺染色体の観察【初級編】
唾腺染色体の観察【上級編】

参考文献
森脇大五郎 1988. 遺伝学ノート (初版). 学会出版センター
森脇大五郎 1979. ショウジョウバエの遺伝実習 (初版). 培風館
澤村京一 2005. 遺伝学(初版). サイエンス社
駒井卓(編) 1952. ショウジョウバエの遺伝と実習 (初版). 培風館
樋渡宏一 菅井俊郎 1978. 特殊な染色体. 田中信徳(編) 新しい細胞遺伝学 (初版) 朝倉書店 40-68.
Painter 1934. Salivary chromosomes and the attack on the genes. Journal of Heredity 25:465-476.
Bridges 1935. Salivary chromosome maps. Journal of Heredity 26:60-64.
Gay 1956. Chromosome-nuclear membrane-cytoplasmic interrelations in Drosophila. The Journal of Biophysical and Biochemical Cytology 2:407-414.
Painter 1933. A new method for the study of chromosome rearrangements and the plotting of chromosome maps. Science 78:585-586.
Painter 1934. A new method for the study of chromosome aberrations and the plotting of chromosome maps in Drosophila melanogaster. Genetics 19:175-188.